第八番 観世音菩薩 興国寺

興国寺について

興国寺は「関南第一禅林」と称され、古くから「開山」の名で親しまれています。安元年(1227)、鎌倉3代将軍・源実朝の菩提を弔うために建てられた西方寺が前身。後に法燈国師を開山に迎え、宗旨を禅宗に改宗。日本24流の4番目となる法燈派の祖となり、最盛時には末寺も 143力を数え、多くの高僧を輩出しました。興国元年(1340)、後村上天皇より興国寺号を拝受。天正13年(1585)、羽柴秀吉の紀州征伐によって堂塔などが焼失。慶長6年(1601)に紀州藩初代藩主・浅野幸長によって再興され、その後も歴代の住職が復興に尽力し、昭和60年2月、妙心寺派に復帰。同9月には、法燈国師700年大遠緯を厳修。寺宝に重要文化財でもある木造法燈国師像や絹本著色法燈国師像、紙本墨書誓度院規式があります。

興国寺は禅の寺であると同時に、尺八の寺であり虚無僧の発祥の寺でもあります。宋で禅を極めた法燈国師が、尺八の名手4人を伴い帰国したのが始まり。頭から首まで隠れる編み笠の天蓋をかぶった虚無僧が、尺八を奏しながら普化宗を全国に普及させました。

法燈国師について

信州(長野県)松本生まれの覚心(後の法燈国師)は19 歳で出家し、東大寺にて得度。高野山にて密教を学び、金剛三昧院で禅密を修行。その後も各地の高僧について禅の修行に励む。建長元年(l 249) に宋(中国)へ渡り、径山興聖万寿禅寺をはじめ多くの寺を行脚し、杭州護国寺で無門禅師から悟りの証である禅の印可を受けて、同6 年(1254) に帰国しました。金剛三昧院の住職として務めた後、正嘉2 年(l 258) に願性より請われて西方寺に赴き、宗旨を改めて禅宗の開祖に。亀山上皇から禅師号、後醍醐天皇より国師号を勅論されました。興国元年(l 340) 、後村上天皇より興国寺号を贈られ、末寺も143 カ寺を数え「紀の国に興国寺あり」と言われるほど栄えました。また興国寺は、日本の醤油文化の発祥であり、法燈国師が中国で修得した金山寺味噌の製造過程から、醤油を生み出したといわれています。ほかにも、虚無僧で知られる普化明暗尺八発祥の寺であり、一夜にして七堂伽藍を建立した天狗伝説など、興味深い伝説も数多く語り継がれています。

札所仏紹介

観世音菩薩

百ケ日忌の守り仏 子年生まれのご本尊 ご縁日毎月18日

法堂、本堂とも仏殿とも呼ばれ、宋風を取り入れた重層入母屋造。寛政9年(1797) に再建。内部には本尊の釈迦如来像、脇に観世音菩薩などを安置しています。

寺院情報

臨済宗妙心寺派 興国寺(こうこくじ)
和歌山県日高郡由良町門前801
電話:0738-65-0154

交通案内

最寄り駅:JR紀勢本線 紀伊由良駅から徒歩15分

御坊湯浅道路 広川ICより国道42号線で15分