第九番 勢至菩薩 浄教寺

浄教寺の歴史と沿革

浄教寺は浄土宗西山派の寺院で、文明4年(1472) に和歌山における西山浄土宗の中核寺院である総持寺(和歌山市梶取)を創建した明秀上人によって開かれたと伝えられ、以後今日まで三十六世の法灯が受け継がれてきました。
浄教寺には、国指定重要文化財の大日如来坐像と仏涅槃図をはじめ、数多くの文化財が伝えられていますが、その中にはかつて近隣に所在した最勝寺の什物を引き継いだことが、十二天像のうちの風天像の裏面に記された銘文から窺うことができます。最勝寺は、田殿丹生神社が鎮座する白山の裏側にあり、有田川下流域の真言宗の中核寺院として平安時代後期に創建されました。明恵上人も数度留まり、その後方で修行を行っています。最勝寺は、鎌倉時代に隆盛を誇りますが、天正年間(1573~1592) には秀吉により寺領を没収され、江戸時代初頭には堂塔が和歌山に移されて廃寺となります。この頃に寺宝が浄教寺に引き継がれたとみられ、本堂前の礎石も最勝寺から移したものと伝えられています。
浄教寺は、江戸時代に伽藍や什物の整備が行われ、寛永5年(1628) には本堂が建立されました。浄教寺中興の祖とされる清円は、万治年間(1658~1661) に伽藍.什物の整備に努め、「檀家帰伏すること小児の母を慕う如く、寺檀会合すること水魚に似たり」といわれるほど、地域と密接なつながりをもって、法灯を受け継ぎました。近代以降も明治3年(1870) に鐘楼が、明治13年(1880) に現在の本堂が再建され、寺観が整えられましたが、昭和28 年(1 953) の大水害に伴い昭和32年(1957) には寺地が現在地へ移されました。
浄教寺に伝わる宗派を超えた数多くの文化財の存在は、地域の拠点的な寺院としての役割を担いながら、歴代上人や地域住民の厚い信仰心のもと、幾度もの修復を物語るものであり、先人とともに歩んできた歴史の重みを今に伝えてくれます。

浄教寺の文化財紹介

重要文化財 大日如来座像

最勝寺の旧蔵品で、浄教寺に引き継がれた仏像の一体と考えられます。右足を外に結枷践坐した足の上で定印を結ぶ胎蔵界大日如来像です。檜の寄木造りで、漆箔により仕上げられています。頭もとどり部は高く、太い華脱な髯を戴き、切れ上がったまなざしや、青年を思わせる引き締まった体の表現は、緊張感のあるものです。このような表現は、仏師運慶・快慶ら慶派仏師の作風に通じるものと考えられており、鎌倉時代初期の彫刻様式をよく示しています。
本像は、明恵上人が最勝寺裏山の草庵で行った大仏頂法(息災を祈る法)の本尊とした可能性や、明恵上人の叔母である崎山尼が亡夫の菩提のために、崎山屋敷を明恵上人に寄進した際に造像されたものと考えられています。
昭和6年、平成10年度に保存修理が行われました。

重要文化財 仏涅槃図

最勝寺の旧蔵品で、浄教寺に引き継がれた寺宝の一つと考えられ ます。仏涅槃図とは、釈迦の入滅の情景を主題とした絵画です。 この仏涅槃図は、4枚の良質な絹を継ぎ合わせて画面を構成し、 線描は丁寧で、色彩は鮮やかであり、精緻な戟金文様が各所にみら れるなど、絵師の技量の高さが窺われます。
本図には、;I木台を覆うように大きな天蓋が描かれていることをはじ め、上空に梵天・帝釈天を描くこと、大きな岩の上に四天王を描くこと、 獅子以外の動物が小さく描かれること、画面左下に車に乗せられた 老人が描かれていること、黒雲に乗る龍王と龍が描かれていることな ど、通例の涅槃図にはみられない特徴が数多くあります。
制作年代は鎌倉時代初期とみられ、明恵上人の意向を汲んで制 作された可能性が指摘されています。
明暦2~3 年(1656~1657) に表具の修理が行われた他、昭和56 年度にも保存修理が行われました。

県指定文化財 当麻曼荼羅図

当麻曼荼羅とは、「観無量寿経」に基づく阿弥陀如来の浄土の 様子を中心に描いたもので、奈良県当麻寺の本尊像を転写したこと から当麻曼荼羅と呼ばれています。浄教寺のものは、当麻寺のもの をおよそ4分の1 に縮小したものです。1 枚の大きな絹を用い、線描 きりかねや彩色は丁寧で、精緻な赦金文様が各所にみられることから、鎌 倉時代末期から南北朝時代(14 世紀)の制作と考えられています。
本図は他の什物とともに最勝寺から伝来したものと考えられてきまし たが、当麻曼荼羅は浄土宗西山派の教義上、重要視されるもので あることから、浄教寺における需要の高まりによって他所から求めら れた可能性も考えられます。
この当麻曼荼羅図は、明暦2~3 年(1656~1657) にかけて、十 八世清円によって修理が行われましたが、剥離や損傷などの傷みが 激しくなってきたことから、平成16 年度に住友財団の助成を受けて 約350 年ぶりとなる修理が行われました。

井口大師山(法蔵寺)

浄教寺の奥の院として、弘法大師をお祀りしています。明恵上人が幼い頃住んでいたこともあり、明恵上人紀州遺跡の一つとなっています。毎年8 月20 日の夜19 時30分~21 時00 に奉納される花火は、150年以上も続く伝統行事です。
地域の方々からは「井口の御大師さん」と呼ばれ、周りの参道は四国八十八ヶ所のお砂をいただき、お祀りしています。

ご開帳(重要文化財の公開)

3月彼岸中日、9月彼岸中日13:00~15:00
※上記以外の重要文化財の見学については、事前に予約が必要となりますので、浄教寺(電話0737-52-2469) まで連絡をしてください。
※当麻曼荼羅図、十六羅漢像、十二天像は和歌山県立博物館に寄託中のため見学できません

寺院情報

浄土宗西山派 浄教寺(じょうきょうじ)
和歌山県有田郡有田川町長田542
電話:0737-52-2469

交通案内

最寄り駅 JR藤並駅
阪和自動車道 有田IC